秋の夜、思い立って石狩市花川の辺りへ小学生の息子を乗せ、スバルのツーリングワゴンでススキの穂を取りに出かけた。仕事で何度も通る農道の裏道に丁度手ごろなススキの穂を見つけた。横に川が流れている草むらの土手の横道にバックで侵入した、その時!右後輪が濡れた草でズルズル滑って土手の路肩を踏み外し、クルマのフロントが空を向く形でようやく停まった。当然ながら左前輪も浮いた形で、グラグラした状態の運転席で下手に騒げば2m以上もある川に転落するかも知れないと、サイドブレーキをいっぱいに引き、「絶対に動くな!」と息子に言って運転席ドアを恐る恐る開け、川に下りた。人家の無い小雨の中、時折通るクルマに手を挙げても誰も停まってくれず、付近を物色。電柱ほどの丸太があったので必死に運び滑落した右後輪側に斜めに渡して運転席に乗り4WDレンジでゆっくり脱出を図ったが、右後輪は濡れた丸太の上を空回り。こうなれば「牽引しか方法がない!」とは言え、ポケットベルしかない時代、しかも夜の10時は過ぎようかと言う月明かりの農道を走って一軒の民家の呼び鈴を押した。そのお宅では既に家族の就寝時間だったが、事情を説明して運よく電話を借りることができた。知り合いの整備工場の社長に電話で牽引をお願いし1~2時間後無事救出して貰った。助手席の息子は既に眠ってしまっていた。空に向かって傾いたクルマのフロントガラス越しに見た風情の無い「中秋の名月」だった。
雪の北陸自動車道(マカロニ編)
北海道で、まだスパイクタイヤが履かれていた頃の冬、僕は福井の実家にクルマで行くことにした。小樽からフェリーで敦賀に降り、すぐに北陸自動車道の敦賀インターチェンジに入ろうとして入口で警察官に停止を命じられた。警察官「チェーンを巻いてください!」。僕「えっ?・・・持っていませんが?」。警察官「規則ですから」。僕は必死に説明した。「チェーンより僕のマカロニ(スパイク)のほうが雪道に効きますが・・?」と。警察官「マカロニ?・・・・」。(警察官の頭に一瞬パスタでも浮かんだに違いない)北海道の常識がなかなか理解されず説得にかなり疲れた。
気をつけよう!(タクシーとの事故)
僕はタクシーとの事故を二度経験したが、二度とも苦い思いをした。一度目は吹雪の中の大通を走行中に交差点に入った状態で前が詰まり信号が変ってしまった時だ。クラクションを鳴らされバックすると、トンと何かにぶつかった。ドアミラーには雪がびっしりくっついて後ろが見えなかったところにタクシーが急接近していたのだ。運転手『どこ見てるんだ!』、僕『すいません、雪で見えなかったもので・・・』、2台で近くの交番へ行った。運転手『この人が猛スピードでバックして来たのさ!』、僕『ゆっくりさがっただけですけど?』、運転手『首が痛いみたいなんだ』、僕『そんな衝撃ならクルマも両方とも引っ込んで、僕も鞭打ちだよね。エアバックも開いていないし・?』、警察官『コン!と接触したようだね』と笑っていた。一部始終保険屋さんに報告した。二度目は片側二車線の幹線から右折して小路に入ろうとしたが、タクシーが出てきたので少し曲がりかけの状態で一時停止し待機。タクシーは左右確認していたが、前を見ずに直進し、僕の運転席側ドアに右バンパーからぶつかって来た。運転手は乗客を降ろして車の中。僕が近づいて窓ガラスを開けさせ『どこ向いて運転してるんだ!』と、運転手『今、会社に連絡したのでこっちに着くまで待ってもらえますか・・』と。その後、運転手は口を閉ざしてしまった。当事者同士で話すべきところを会社に委ねた運転手に腹が立ったが、その事故処理担当者がやってきた。担当者『あんた、これから〇〇交番に行くので、後で来て』と。〇〇交番に行くと既に担当者が事故報告を済ませていた。してやられた!また有る事無い事を先手報告したに違いない。停まってあげているところに一方的に突っ込んで来たタクシー運転手が100%悪いに決まっているし、当事者ではない者が事故報告もおかしい。担当者『ウチは塗装工場もあるからウチで治しますよ』と。どうせ焼付けもいい加減な天婦羅塗装でごまかされるのを知っていた僕は『いいえ、お断りします!自分のディーラーさんから請求させていただきます』と。その間代車を貸すと言うので借りてみた。セドリックの旧型で案の定、あちこち補修痕を見ると天婦羅塗装で引っかけば剥がれるほどお粗末だった。保険会社からは、公道上での事故は100対0%はありえないと言われたが納得できず最後まで食い下がったが事例がないとの事で90対10%とされた。タクシー会社からはタクシーの補修代の請求が来たが一切見ずに破り捨てた。その後音沙汰なしだった。タクシー会社は台数が多く無保険車で、その都度事故処理をしているらしい。しかし、不幸中の幸いで、助手席に小学生の息子を乗せていたが運転席側でなくて良かったと思った。
僕の特技「語呂合わせ」(数字暗記)
僕は何故か数字を覚えるのが得意だ。例えば、昔から電話番号などを書き留めた手帳など一切持たない。全ての取引先や友人たちの電話番号を暗記していたからだ。暗記と言うより憶えるコツは数字を見たら何気に「変なゴロ併せ」をやる癖がある。歴史の教科で年号を憶えたあの手法だ。数字をそのまま憶えることもあるが、ほとんどが言葉に置き換えて頭のどこかに残されているのだ。決してまともな言葉ではないのだが、他人に伝える情報ではないので「変なゴロ併せ」ほど記憶には残るから不思議だ。或る年の新年のご挨拶まわりで、僕は一人で某ディーラーさんの駐車場にクルマを停めた。そこへ同じく挨拶まわりを終えたらしき人たち三名がすぐ左隣のクルマに戻って来た。運転手役の若い方が偉い感じの二名の方をエスコートして左ドアから乗せ、自分が運転席ドアを開けた瞬間、凍った路面に足を取られ転倒!僕のクルマの助手席ドアに何かがぶつかった音がした。僕は助手席の窓ガラスを下げて「大丈夫ですか?」と、彼「大丈夫です・・・」と。そのまま僕は年始のご挨拶を終えクルマに戻り、念のため助手席ドアを確認して驚いた。なんと傷ついて引っ込んでいるではないか。あの時の彼の「大丈夫です・・・」は僕のクルマではなく自分のことだったのだ。とっさにあの時のクルマのナンバーの「語呂」と「車種」と「貼ってあったディーラーさんのステッカー」と「だいたいの年式」、「時間」を思い出し、挨拶先のディーラーさんに問い合わせた。ナンバーからディーラーさんが判り、なんと僕のライバルの取引先に代車で貸したクルマだった。運転していた方は支店の方と他の二名の方は東京の役員だと言う。早速彼の会社に電話で「このままだと、当て逃げになりますよ・・・」と。「特技は身を助く!」だ。
『どうせ敵さんの車だろう?』
大変お世話になっていた某ディーラーさんの社長さん「君もどうせ、敵さんのクルマだろう?」と見抜かれた。そのディーラーさんを訪問する時には、なるべく遠くにクルマを停めていたのだが、そんな或る日の夕方、社長さん「君、これから会社に戻るなら同じ方向のススキノまで乗せてもらえないか?」と。こうなっては仕方がない。覚悟を決め、快く承諾。僕「汚いクルマですけど、よろしければ喜んで!」と。そして社長さんと、支店長さん、次長さんの3人を乗せてススキノまで辛い20分ほどのドライブだった。社長さんから支店長さんに「君、注文書を持ってきたか?」、支店長「えっ?」、社長さん「クラシック・カーもいいけど、ウチのクルマもいいよ・・・」と。もちろん僕に、きつ~い冗談にも本音が半分あったのだと思う。僕にとっては恩人の社長さんだったので、その時から僕はスバルとの別れを考え始めた。僕によくしていただいたメーカーから出向の社長さんもメーカーのディーラー再編による合併で本州ディーラーに転勤となった。「男はつらいよ!」
雪の赤井川でのドリフト撮影
お正月も明け、有名メーカーから出向の某ディーラーの社長さんと一緒に、冬の赤井川で4WDの乗用車デビューの広告に使用する写真撮影に行くことになった。小樽の店で待ってると言うので朝9時に立ち寄ると、社長さんらしき人が見当たらない。スタッフに聞くと、なんと社員と一緒にママさんダンプで除雪作業中だった。そんな活動的な社長さんを乗せ赤井川に向かった。山中でカメラマンと社長さんを降ろして僕がドライバー役だ。ギヤを落としてアクセルを踏み込み雪煙をあげてドリフト走行を繰り返した。社長さん「僕にも運転させろ!」と。さすがに僕もお断りした。大ディーラーさんの社長さんに、しかも暖かい本州出身で北海道の冬道での運転にも不慣れのはず。とても危険な行為はお薦めできない。撮影は終了!帰る段になって今度は社長さんが「新しい4WDの乗り心地を知りたいから運転して帰る」と言うので仕方なく交代した。赤井川の山を降りるまでの「恐怖の時間」はとても長く感じた。やっぱりお断りすべきだったと。その写真は新聞広告に使用した。
お正月は試乗車で支笏湖へ
12月の初め、某ディーラーさんに訪問時、例の社長さんから「君もそろそろ乗り換えたら?」と言われ、とっさに「小型の4WD乗用があれば、いいんですがね・・・」と、社長さん「ん。丁度良かった、その4WDがデビューするんだよ!」。しまった!そうだったんだ。その事前情報はつかんでいなかったので不意をつかれてしまった。デビューの地元広告を任すと言われ、新型の小型4WDセダンの試乗車をお正月休みにお借りする事にした。冬の支笏湖へ真駒内側から向かった。除雪はしてあるが、車も全く走っていない道路は悪路で不気味でさえあった。4WDと言う安心感は多少あったが、最低地上高13cmの床下は雪でこすっていた。それに冬の山の天候はいつ急変するか読めない。雪が降りしきる峠道の試乗車でのドライブは緊張の連続だった。
♪さらばスバルよ!
憧れのスバルはポルシェと同じく、水平対抗の「ボクサー・エンジン」のサウンドが快かった。しかし、強固なボディの重量か、エンジンのパワー不足か「かったる~く」感じた。しっかりはしているが重たいものを引きずっている感じが不満だった。庭に駐車中の或る日、隣の石膏製のストーブの煙突が強風で倒れ、ボンネット上で炸裂!粉々に飛び散ったのを見て、塗装修理を覚悟したが、なんと?フェンダーに着いていた車幅麦球が切れただけで何処も引っ込んでいなかったのには驚いた。ブレーキの浪打現象でメーカーにクレームを申し出、ディスクブレーキのローターを交換したり、かなり手間のかかる代物だったが、使い込むにつれ、ようやく落ち着き、エンジンも回るようになってすっかり馴染んだと同時にパワーも感じるようになった。あれほど憧れていたレオーネに、真っ白いアルミホイールと、キャラメル・トレッド・パターンのラリータイヤを履かせてサロマ湖の砂地を走破したり、キャンプの浜辺でのスタックからの脱出やら思い出は尽きない。13万kmも乗ったレオーネをどうしても欲しいと言う人が現れた。ネイチャーガイドの方らしい。その頃、僕は某メーカー系ディーラーさんの広告の仕事で、大変お世話になっていたため、6年間一緒に暮らしたスバルを諦め、彼に譲ることに決めた。「男はつらいよ!」。時代は、バブルの予兆が始まっていた。
ランクル片輪走行!
若いときは平気で無茶をやってしまう。今思えば「ゾッ!」とするが、建機メーカーの若手社員と僕は360度自然の風景を探してロケハンに向かった。広大な風景の中での建機のカレンダー用写真撮影のためだった。早朝から黄色いキャビン付きのランクルで二人で出かけた。海辺の国道はクルマもなく快適なドライブだった。が、突然彼が「片輪走行」をすると言い出した。映画でしか見たことがなかった僕は「出来るわけがない?」と思いながらもまさか本気だと思わなかったのだが、なんと、カーブに差し掛かった時の横Gを利用して右の前後輪を持ち上げた後、直線でやってのけた。助手席の僕は息を呑んでシートにヘバりついて怖かったが、彼とは仕事で気心知れた仲で信頼感も手伝ってその時は感心した。彼も出世して上に立ったが、あの時の無謀さはどこに置いてきたのか?今ではハイブリッドの乗用車に乗り、まるで別人の振りをしている?
憧れのスバルよ!
「じゃじゃ馬ジープ嬢」とは、キッパリと別れ、残された「FRの乗用車」のキズの修復を始めた。パテでエクボを埋めたり、水とぎで平らにして同色のニッペのスプレーで塗装したり、コンパウンドで磨いたり。さすがに3台目の塗装は手馴れたものでうまく行った。ジープを譲ったお金と、このクルマの下取りで、4WDの乗用車を買って1台きりにしょうと思い修復作業は念入りだった。当時スバルと他メーカーの2社しか4WDの乗用は無く、ショールームで見比べた。当時のスバルは外見もしっかりしていて内装も上質だった。決め手は何と言っても見えないクルマの床底だった。防錆処理とパイプ類などが露出していない平らな床底。インパネのダイヤル風の部品がBMWに似ていたところも気に入った。何と僕の修復はかなり評価が高く「きれいに乗っていらっしゃいますね・・・」と言われ、下取りもそこそこ高く取ってもらったおかげで毎月の支払いも押さえられ、それほど重い負担にはならずに済んだ。「芸は身を助く」だ。こうして憧れのスバルのツーリングワゴンを手に入れた僕は、やっぱりクルマには「ツイている!」