フェリー。

夏になると、1週間から10日間ほど休みを取ってフェリーにクルマを載せて北陸や関西に出かける事が多かった。札幌から近い港は小樽だが、時には室蘭港からも乗船した。未だになかなか行くチャンスのない東北には、いつか行こうと思いつつ、仙台のサーキットにツーリングカー・レースを見に行った時以外、まだ実現していない。東北へは苫小牧港を夜に出て翌朝八戸港に入り、十和田や八甲田へのドライブを楽しみにしている。時期としては紅葉の秋がいいのだろう。仕事の都合次第だが、今年は行けるのだろうか?毎年同じ事を考えている。フェリーは運賃も比較的安く乗船料はクルマの料金に運転者分も含まれて掛からないから2~5名で出かけるには経済的だ。但し、船酔いする人には向いていない。大型フェリーの場合には海中にスタビライザーと言う羽が出ていて揺れを自動制御してくれているので、それほどの揺れは感じさせないように出来ている。また飛行機と違い空間が広く、潮風を感じて広いデッキなどへ自由に動き回れるのもいい。レストランのメニューは単調だが二~三食くらいなら我慢できる。フェリーのいいところは重い荷物を持って交通機関への移動をせずに、目的地に行けるところだろう。またクルマは船倉に収容されるので潮風は当たらないので塩害の心配はない。フェリーとクルマの旅は、燃料費や高速料金は掛かるが、目的地でも自由に動ける事が最大メリットだ。船の中も贅沢を言えば一等船室などにすればプライバシーも守られる。キャンピング・カーなら、さらに楽しいドライブになるのではないだろうか。(クルマのサイズでは乗船料が多少変わるようだが・・・)

エンジン・ブレーキは?

ある国産メーカー系のショールームで、
クルマを初めて購入したいと言う女性のお客さまと、
ショールームの男性営業スタッフとの会話編。
 
男性営業スタッフ
「この車種は安全性能も高く小回りもきいて、とても運転もしやすいクルマですよ・・・」
女性のお客さま
「・・・ところで、このクルマって?エンジン・ブレーキはどこに付いていますか?」

クルマは見かけによらぬモノ?

僕が不動産広告を手がけていた頃のお話。札幌の初期のマンションや戸建ての広告のロケーション調査から写真撮影・広告制作・出稿まで、今で言う?ワン・ストップ?つまり一人で全てこなしていた。ある時はカメラマン、ある時はコピーライター、ある時はデザイナー、ある時は営業マン。つまり萬(よろず)承りと言う訳だ。札幌は一等地の宮の森に建った分譲マンションの販売広告に携わっていた時のお話。あの辺は坪200万円もの地価で、バブル後半に「億ション」と呼ばれた販売価格1億円超の分譲マンションのモデル・ハウスでのこと。土曜・日曜の誘客のための広告を制作して新聞に掲載し、当然お手伝いも兼ねて僕も現地に行っていた。好景気で来客も多く、見るからにそれ相応の方々が、それ相応の輸入車でやってきた。そんな或る土曜日の午後、国産のワンボックス・カーに幼稚園児1人と小学生2人のお子様を乗せたご夫婦の5人家族がデニムのラフな身なりで近郊の市から訪れた。僕も含め、販売担当者の方も賑やかなご家族が来たなぁ~程度に受け止めていた。これまでの経験上からは、失礼だが正直言って1億円以上のマンションの購入層には見えなかった。・・・が、お父さん「いいね~!」と。お母さん「いいわね~!」と。子供たち「買ったら~!」と?。・・・その場で成約?。よく聞けば医院経営で、お父さんは普段メルセデスだそうで、家族で一緒に行動するためのワンボックス・カーだと言うことが判明。また、その翌日の日曜日には、今度は20代の若い女性と外国人男性がモデルハウスを訪れた。こんな若い女性が億ションを?・・・と考える暇もなく「気に入りました!」と、その場で成約。何でも遺産相続した方のようでした。若いからとか、普段着とかクルマとか、人は見かけで判断できませんと言う教訓でした。(実話)

あの時はごめんなさい!

長い間クルマに乗っていると何度も何度も事故に遭遇する。その中でも接触事故で、お相手の方々に許していただいたケースが何度もある。お相手の方々はたいてい古いタイプのクルマの持ち主で、自分の車の心配より、意外なことに、僕のほうを心配してくれたのだ。一度は深夜MINIで右折する小路をやり過ごしバックしたら追突!MINIの後ろバンパーも少し、お相手の前バンパーに傷が。『すみません!』、『あんた疲れてるんじゃあないの?気をつけなさい~』、『修理させてください・・・』、『いいよ~古いから・・・』。二度目は冬の電車通りでスバル4WDがスリップ、前のライトバンのバンパーに接触。『申し訳ありません!』、『いやぁ大したことないよ、いいから、いいから、ところで大丈夫かい?』。三度目は、BMWで北一条宮の沢線(ロサンゼルス通り)の上り坂で信号待ちから青信号でアクセルを踏んだ途端、前の軽に追突!『すみませ~ん!』、『オレの方ははいいよ古いから、BMなら高いでしょ?』と。まだまだあるが、あの時の方たちに『あの時はごめんなさい!』と今もう一度心からお侘びしたい。路面状況の読み違いや、イベントで疲れていたり、信号での早まったアクセル・ワークの誤操作だったり、慣れから来る『だろう運転』が原因のほとんどだ。最近流行の自動ブレーキ・システムは僕のような、『ついウッカリ事故』を減少させることができるに違いないが、コンピュータや機械に頼り過ぎも危険かも知れない。今日も周囲に注意を払って『ゆずりあい運転』で。

白バイ隊員に感謝?(罰金は痛っ!)

スピード違反の罰金は痛いが、レーダー探知機やナビゲーションは決してつけたくない。理由は人間の感を無くしたくないからだ。今日は取り締まりをしていそうだ?、なんとなく気になる?、だいたいこの辺りかな?、など根拠は無いが『感』が当たった時は自慢したくなるほどうれしいものだ。若いときは遠視2.0の視力で遠くの方でレーダーを確認してゆっくり走り、レーダーのところで止まる位に減速して、サイド・ウインドウ・ガラスを下げ、オマワリさんに大きな声で『ご苦労さま~っ!』と言っていた頃が懐かしい。(バレバレになるとばかり迷惑そうなオマワリさん達の顔を思い出した・・・)年齢とともに『感』も鈍ったか、捕まることも多少増えた気がする。33℃もある真夏の石狩新港からサルサの曲にスピードも乗ってバイパスを猛速で降りると、追い越した軽トラからパッシングで合図された。直後バックミラーに仮面ライダーみたいなバイクが見えた。橋のたもとの影から白バイが現れたのだ。白バイも早いもので、急ブレーキの僕のクルマに100m以内にまで急接近し『レーダー照射!』85kmと計測された。僕『止めて頂いてありがとうございました!』、白バイ隊員『えっ???そんな感謝されたのは初めてであります?・・・』目が点に。僕『大音量で音楽かけて無意識にスピード出ていたみたいですね、事故るかも知れない前に止めていただいて感謝です』。手続きも超スピードで終わったが、僕たちの姿を横目に『オレは捕まらないぞ!・・・バ~カ!』みたいな得意顔で何台ものクルマが通り過ぎた。罰金はすぐに払ったが、青切符は交通安全お守りに入れてクルマに。『反省~!』。男はつらいよ~!

『耳は目ほどにモノを見る?』(Jeepのトラブル編)

Jeep のエンジンの「カタカタ音」が若干気になったので、知り合いの整備工場の社長に聞くと彼は音を聞くなり『メタルが減ってるな・・・』と一言。翌日、僕は仕事で恵庭までJeepで行くことにしていたが、幹線沿いのJeepを扱う某ディーラーさんに立ち寄った。工場長風の方が対応してくれたが、症状を説明すると、『Jeepはそんなに簡単に壊れませんからね・・・」と元気付けてくれたので、そのまま恵庭に向かった。走行中の異音は続いていたが仕事を終え帰路に。すると、突然!北広島市街辺りで異音は『カタカタ』から『ガタガタ』と鳴り出した。とっさに整備工場を探して事情説明したが部品は無く、札幌に戻ることにした。整備工場の社長さん『ムリするとエンジンが焼きつくから40km/h以下でゆっくり走ればなんとか?札幌まで行けるかな?・・・』と言ってくれたので、ご忠告通り札幌へ向かった。大谷地の流通団地の下り坂でとうとうエンジンのパワー・ダウン。目の前に見つけたガソリンスタンドへギアをニュートラルにして惰性で転がり込んだが、閉店していて公衆電話も使えない。流通団地内で残業している会社を探して電話を借り、最初に診て貰った知り合いの整備工場の社長に助け舟コールを。若い社員が来てくれ、整備工場まで牽引してくれ助かった。メタルとはエンジンの回転軸を受ける砲金のことらしく、大砲などの砲身内などにも使用されている比較的軟らかい金属だと聞いている。長い間の乱暴なダート走行やエンジンの振動などで軸受けに負荷がかかり歪んで軸が軸受けの中で上下に動いていたらしい。やっぱり年季の入った町工場のベテラン社長さん達の言うことは正しい。彼らは耳でエンジン内部が見えるらしい。それだけの場数を踏んでいるから言い切れるに違いない。その後も彼は、ジャンク屋さんに行って廃車の同型エンジンを探してキャブレターにガソリンを垂らしてエンジンの調子を見た上で手に入れ、僕のJeepの心臓移植をしてくれた。彼には、ダイナモやセルモーターやクラッチ板、ボディ溶接までずいぶんお世話になった。彼らはトラックから乗用車まですべての整備をこなしているが、乗用車を持ち込むと『オモチャが来た』と言う。彼らは小型車はオモチャとして遊びながら整備作業を楽しんでいる。ちなみに麻雀でも僕は彼らに遊ばれっ放しだ。

『オーライ!』は、聞いてはダメヨ~。

昔、昔、カメラマンと苫小牧の樽前に写真撮影に行った帰りのクルマでの出来事。山の天気は変わりやすく、その日は雨と濃霧が立ち込めていた。国道に出るには踏みきりを渡らなければならない。目を凝らして踏みきりまでたどり着いた。僕は土手で見えない右側に注意を払っていたが、助手席のカメラマンが『左オーライ!』と言ったので信用してアクセルを踏みかけた。その時『ゴォー!』と霧の中から黒い鉄の塊のようなものが目の前を通り過ぎたのだ。間一髪!。もう少しでSLにペチャンコにされるところだった僕たちはお互いに顔を見合わせて蒼ざめた。それから僕は助手席の『オーライ!』を、決して信用しなくなったと同時に、仮に助手席の人が親切に『左オーライ!』と言ってくれたとしても、必ず思い出して『ところで、SLは来ていないかい?』と聞く。たいていは『キョトン?』としている。

事故に役立つ特技!

僕は数字を記憶する特技があるが、或る冬のアイスバーンを時間を気にしながら急いでいた。交差点で前が詰まり、ブレーキでスリップし、前車のバンパーの角に接触!。僕は降車して駆け寄り「すみません!お名前教えていただけますか?」、彼「佐藤だ」と言い残して走り去ってしまった。追いかけたが渋滞で見失った。僕は「佐藤さん」、「クルマのナンバー」、「ディーラーさんのステッカー」、「車種」だけは把握していたので、まずはステッカーのディーラーさんに事情を説明して「佐藤さん」の所在をお聞きし、僕の自宅にも近い方だと知った。早速、菓子折を持って彼の勤務先の会社へ伺った。なんと大きなバス・タクシーの会社の部長さんだった。僕「今朝は、大変申し訳ありませんでした」。部長「えっ!あんた、どうしてここが判ったの?・・・」とびっくりしていた。僕「僅かで恐縮ですが塗装代受け取っていただけますか?」と菓子折と一緒に二万円を差し出すと、部長「いいよ、ウチは会社で塗装できるから」と、僕の方へ押し戻した。事故のお詫びのはずが、いつの間にか雑談で終始していた。

僕の特技「語呂合わせ」(数字暗記)

僕は何故か数字を覚えるのが得意だ。例えば、昔から電話番号などを書き留めた手帳など一切持たない。全ての取引先や友人たちの電話番号を暗記していたからだ。暗記と言うより憶えるコツは数字を見たら何気に「変なゴロ併せ」をやる癖がある。歴史の教科で年号を憶えたあの手法だ。数字をそのまま憶えることもあるが、ほとんどが言葉に置き換えて頭のどこかに残されているのだ。決してまともな言葉ではないのだが、他人に伝える情報ではないので「変なゴロ併せ」ほど記憶には残るから不思議だ。或る年の新年のご挨拶まわりで、僕は一人で某ディーラーさんの駐車場にクルマを停めた。そこへ同じく挨拶まわりを終えたらしき人たち三名がすぐ左隣のクルマに戻って来た。運転手役の若い方が偉い感じの二名の方をエスコートして左ドアから乗せ、自分が運転席ドアを開けた瞬間、凍った路面に足を取られ転倒!僕のクルマの助手席ドアに何かがぶつかった音がした。僕は助手席の窓ガラスを下げて「大丈夫ですか?」と、彼「大丈夫です・・・」と。そのまま僕は年始のご挨拶を終えクルマに戻り、念のため助手席ドアを確認して驚いた。なんと傷ついて引っ込んでいるではないか。あの時の彼の「大丈夫です・・・」は僕のクルマではなく自分のことだったのだ。とっさにあの時のクルマのナンバーの「語呂」と「車種」と「貼ってあったディーラーさんのステッカー」と「だいたいの年式」、「時間」を思い出し、挨拶先のディーラーさんに問い合わせた。ナンバーからディーラーさんが判り、なんと僕のライバルの取引先に代車で貸したクルマだった。運転していた方は支店の方と他の二名の方は東京の役員だと言う。早速彼の会社に電話で「このままだと、当て逃げになりますよ・・・」と。「特技は身を助く!」だ。

『どうせ敵さんの車だろう?』

大変お世話になっていた某ディーラーさんの社長さん「君もどうせ、敵さんのクルマだろう?」と見抜かれた。そのディーラーさんを訪問する時には、なるべく遠くにクルマを停めていたのだが、そんな或る日の夕方、社長さん「君、これから会社に戻るなら同じ方向のススキノまで乗せてもらえないか?」と。こうなっては仕方がない。覚悟を決め、快く承諾。僕「汚いクルマですけど、よろしければ喜んで!」と。そして社長さんと、支店長さん、次長さんの3人を乗せてススキノまで辛い20分ほどのドライブだった。社長さんから支店長さんに「君、注文書を持ってきたか?」、支店長「えっ?」、社長さん「クラシック・カーもいいけど、ウチのクルマもいいよ・・・」と。もちろん僕に、きつ~い冗談にも本音が半分あったのだと思う。僕にとっては恩人の社長さんだったので、その時から僕はスバルとの別れを考え始めた。僕によくしていただいたメーカーから出向の社長さんもメーカーのディーラー再編による合併で本州ディーラーに転勤となった。「男はつらいよ!」