キャンピング・カー。

キャンピング・カーにもいろいろ有るが、屈斜路湖のほとりで大露天風呂温泉が売りの民宿を経営している知人の所に、アメリカなどの映像で見かける飛行機の胴体のように大きなアルミでできた牽引型キャンピング・カーを見かけた事があった。民宿のオーナーの知人に聞くと彼の東京の親戚のオジサン家族だった。親戚と言えど商売の部屋には泊まらず、キャンピング・カーで家族が寝泊りして避暑に来ていたらしい。こんな大きな本格的なキャンピング・カーは別として、ある程度設備の整ったキャンピング・カーは魅力だ。トラックの後部に設備したタイプやワンボックス・カー・タイプ、最近では軽四輪のワン・ボックス・タイプまである。キャンピング・カーの魅力は宿泊のホテルや旅館の予約の心配もせずに出かけられる事だろう。こんなクルマで北から沖縄まで、の~んびり南下する旅をしたいと考えたが未だに実現はしていない。仕事を持っていると、なかなか長期休暇などとれず、つい仕事人間になってしまう。それに家族も含めてクルマも3台有るが、みんな実用車で遊びの車は無い。キャンピング・カーを購入するとなれば300~500万円は覚悟しなければならないだろう。それに遠出すればさらに維持費も予算すれば年間100万円くらいは余裕が無ければならないと思う。と、なれば僕達のようなユーザーにはキャンピング・カーを購入維持するよりもレンタ・カーを利用したほうが遥かに経済的だ。ましてレンタ・カーなら、その時々の目的に合わせて、好きなタイプのキャンピング・カーも選べる。沖縄までの南下はムリにしても、取り合えず一度レンタ・カーでいいからキャンピング・カーで北海道内を2~3日ばかり旅してみたい。子供たちが大きくなって自立してしまうとクルマでの旅行も忘れてしまっていた。余談だが、理容店の店主が以前日産キャラバンを改造して8ナンバーにしていた。改造車はキャンピング・カーもパトカーも8ナンバーだが、改造するところは室内とエンジンや装備の違いはあっても税金は非常に安いらしい。

フェリー。

夏になると、1週間から10日間ほど休みを取ってフェリーにクルマを載せて北陸や関西に出かける事が多かった。札幌から近い港は小樽だが、時には室蘭港からも乗船した。未だになかなか行くチャンスのない東北には、いつか行こうと思いつつ、仙台のサーキットにツーリングカー・レースを見に行った時以外、まだ実現していない。東北へは苫小牧港を夜に出て翌朝八戸港に入り、十和田や八甲田へのドライブを楽しみにしている。時期としては紅葉の秋がいいのだろう。仕事の都合次第だが、今年は行けるのだろうか?毎年同じ事を考えている。フェリーは運賃も比較的安く乗船料はクルマの料金に運転者分も含まれて掛からないから2~5名で出かけるには経済的だ。但し、船酔いする人には向いていない。大型フェリーの場合には海中にスタビライザーと言う羽が出ていて揺れを自動制御してくれているので、それほどの揺れは感じさせないように出来ている。また飛行機と違い空間が広く、潮風を感じて広いデッキなどへ自由に動き回れるのもいい。レストランのメニューは単調だが二~三食くらいなら我慢できる。フェリーのいいところは重い荷物を持って交通機関への移動をせずに、目的地に行けるところだろう。またクルマは船倉に収容されるので潮風は当たらないので塩害の心配はない。フェリーとクルマの旅は、燃料費や高速料金は掛かるが、目的地でも自由に動ける事が最大メリットだ。船の中も贅沢を言えば一等船室などにすればプライバシーも守られる。キャンピング・カーなら、さらに楽しいドライブになるのではないだろうか。(クルマのサイズでは乗船料が多少変わるようだが・・・)

クルマと自然。

地球環境の悪化、温暖化の元凶とされるクルマも、近年「電気駆動」のものも市販され、さらに台数が増えれば排出ガスも減少すると思う。電気駆動のほかにも水素や燃料電池など様々な開発が進んでおり、これまでのクルマのイメージからは大きく変わってくるだろう。世界遺産の知床なども含めて北海道の貴重な自然を保護するためにはスイスの山岳地帯のように電気自動車以外のクルマ乗り入れ規制が必要かと思う。充電設備などのインフラ整備が必要にはなるが、広い北海道でも安心して電気自動車でも遠出ができる環境整備が電気自動車の普及につながり、ユーザーの環境意識の高揚に貢献できると思う。電気のチャージャー設置ならそれほどの設備投資にもならないし、早急に実施可能なインフラでもあると思う。

また、ニトリで一人。

最近の僕は、我ながら比較的おとなしく走っていると思う。今朝も8:30頃出勤途中の国道36号でバスレーンを走りたくなる衝動を抑えて、美園の環状線との交差点を過ぎた頃、二人の警官らしき人物がバスレーンのチェックをしているのが目に入った。思わず車間を空けてバスレーンの軽四を入れてあげようとしたが気づかず、とうとう赤旗を振られてしまった。出勤前の女性ドライバーで急いでいたのだろう。僕は同じところでバスレーン違反走行経験済みなので、次はすばやく左ウインカーで左折の方法を取る事を考えていた。女性は初めてなのだろう。ニトリ家具の広い駐車場には既に十数台が止められていた。6,000円の罰金だ。学校も明日から夏休み、夏の交通安全運動も始まった。気をつけよう。

猿の集団。

夏休みに北陸は敦賀駅前でレンタカーのビッツを借りて若狭湾の半島の突端にある実家の旅館に行った。帰る日、日に一便しかない小松空港へはかなり早朝に出発しなければならない。僕は上着のポケットに駄菓子の袋を入れて船着場の駐車場を出発した。想像通り途中で猿の大群に道を占領されていた。ビッツを静かに停めてサイド・ウインドウを開けて上着のポケットの袋から駄菓子を取り出し右路肩に投げた。猿たちが奪い合いを始めたところで今度は助手席側の窓から駄菓子を左路肩に投げた。猿達は左右に分かれて道を開けてくれた。おかげで、敦賀ICから小松IC経由で小松空港前にレンタカーを返却して飛行機にも無事に間に合った。もしかして、あの時、駄菓子を用意していなかったら飛行機に乗り遅れたかもしれない。いや?駄菓子を奪えなかった猿が助手席に乗ってこられたらパニクって70m下の海に転落したかも知れない。それにしてもビッツは非力ながら燃費20km/ℓ と低燃費だった。

豪雨とサンルーフ?

初代プレーリーは、プジョーあたりのミニバンのコピー版らしいが、デビュー当時は余りにも異様な形に躊躇もしたが、これだけ変わっていればモデルチェンジが激しいクルマの中でも、いつまでも、それほど見劣りしないだろう?と、思い切って購入した。想像以上に先ず家族が乗車拒否!『かっこ悪い?恥ずかしい!絶対に乗らない!歩いたほうがいい!』と?。国内のミニバンの先駆車『プレーリー』には、暫く家族もそっぽを向いたほどの恥ずかしいスタイルの?クルマとしたイメージしかなかった。そう言う僕もなぜか冷たい視線を感じながら暫くは走っていた。・・・が、間もなくホンダから似たような『オデッセイ』が出たとたん、国内のミニバン人気に火がついた。何処に行っても『オデッセイ』。先駆車のはずの『プレーリー』は霞んでしまった。先駆者はいつも後進組に淘汰される宿命にある。そんなミニバンの火付け役の僕の『プレーリー』は大きなサンルーフ付きだった。当時ヘビー・スモーカーだった僕はサンルーフ全開でSLよろしく天井から煙を吐いて走っていた。夏休みには子供二人を乗せてフェリーで田舎に帰省した。帰りの敦賀フェリー・ターミナルで乗船待ちのため駐車待機していると『大スコール』に遭遇した。バケツをひっくり返したと言う表現があるが、雨粒と言うより『雨の岩石?』が落ちてくる感覚だった。あれほど憧れていた大きなサンルーフだったが、ガラスが割れんばかりに叩きつける豪雨の恐怖に内側のシェードを閉じて、車内でジッと耐えたが、とても長い時間に感じた。それ以来サンルーフへの興味は薄れてしまった。

風速50m!とは?。

台風シーズン!北海道は比較的被害が少ないが、風速50mの台風が襲来した時には大パニックだった。仕事がら日付指定もののチラシ搬入で発寒にある折込配送センターにライトバン(カルディナ)で出かけた。配送センターに到着すると、あの重い樹脂製のフォークリフト用のパレットが次々空中に舞い上がって吹き飛ばされていた。とっさに風下から逃れ風上にクルマを移動!難を逃れた。帰り道でも、看板が倒れ、円山公園あたりの大木も目の前で根こそぎ倒れ、一方通行の片側を塞いでしまった。行き場に困った僕は反対車線を逆走して逃げた。その時、遭遇したパトカーも逆走をとがめなかった。ただ驚いたのは、樹木が倒れそうになっている交差点の赤信号を守って青に変わるまで動かなかったベンツだ。前がつっかえ進めない。僕のクルマに大木が倒れてきたらと、気が気ではなかった。幹線に出ても倒木が道路を塞いでいるので、わき道をジグザグと交わしながら大通公園の北大通を走行も、大木が次々倒れるのを尻目に必死で東8丁目の某ビルの駐車場へ。ビルの中に避難しようと思ってもクルマの扉が風圧でなかなか開かない。暴風で吹き飛ばされぬよう重い鞄を持ち、何とかクルマのドアを押し開け、姿勢を低くして、ゆっくりビルの裏口ドアへ。外に開く重いステンレスのドアは外からの風に押され開かない構造のはずが、竜巻のようなビル風で外に吸い込まれるように開いてしまいビルの1階ロビーには枯葉がいっぱい舞い込んで異様な光景だった。外にはいろんなモノが飛び交っていて出られず、ビルの6階の窓から自分が請け負って建てた大型ロード・サインを見ると、やはりモノがぶつかって看板面の樹脂板が割れてしまっていた。心配なのは看板の部材などが人や車や建物に被害を与える事。不幸中の幸いで多少の被害は出たが、それ以上の加害者にならなくて済んで「ホッ!」とした。後日、イベント会場に予定した手稲山頂近いスキーハウス前の大駐車場から山腹を見ると大木が無数、横たわっていた。係りの方の話では台風当日は大きな倒木が飛び交っていたらしい。リフトの支柱さえも曲がっていて「すざましい台風」の脅威を物語っていた。落雷の時は大木に近寄るなと言うが、台風の時の大木ほど危険なものはない。

黒い雨?。

1週間ほど前、日中は晴れていたが、夜中の3時頃目が覚めると雨が降っていた。朝、庭の水桶に10cmほどの雨水が溜まっていたが、家族は雨が降った事すら知らない様子だった。出勤のためクルマに乗ろうとした時、クルマが変に汚れている事に気づいた。日中は乾いていて泥はねなども無く、汚れもほとんど気にならなかったのに?バンパーやハッチバックに溜まった汚れは火山灰のようなザラザラの黒い粒子だった。一体何が降ったのだろう?黒い灰か?夜の雨か?これまでにも黒い雨は降った事があるのだろうか?黒っぽいクルマばかりに乗っていた僕は今回真っ白なボディのクルマに乗る事になって初めて発見した。不気味な黒い雨の正体は一体なんだろう?
黒い雨

金沢は暑かった。

或る年の夏休みに、娘を連れて若狭の田舎に行く事になった。フェリーを降りて高速道路で金沢入り。夕方になったので宿を取ることにした。予約無しではお盆休暇には泊まれないと、兼六園近くのホテルで言われたので、仕方なくホテルを諦めて駅前で旅館を探す事にした。駅前の観光旅館は意外にも簡単にとれた。翌日はクルマで兼六園に向かった。夏の金沢は猛暑で、園内を歩く事さえつらかった。ベンチに座ってアイスクリームを食べながら、初めて気づいた。北海道の気候に慣らされた僕には夏の兼六園は到底ムリだったと。暑さはハンパなく、体温を超える38~39℃はあっただろうか。暑い金沢を出て、味気ない高速道路はやめ、山間の国道に入り緑や渓谷を見ながら福井県の大野市、勝山市を経由して若狭に向かった。山間部はいくらか涼しく、窓も開けて爽快なドライブだった。

真夏の北陸自動車道。

室蘭からフェリーにクルマを乗せ、娘と福井へと出かけたが、散々な夏休みとなった。セミバンの流行のはしりのプレーリーはマニアルミッションだったが、途中でエンストして娘に押させてセカンドにつないで押しがけしたりもした。高速道路走行中にエンストしたら危険だった。ましてお盆休みでどこの整備工場も休業中だ。そのときは原因不明だったが、後々判明したのはガソリンを濾過しながら供給する箇所の網『ストレーナー』が小さすぎて不純物が詰まるたびにガソリンが供給不足でエンジンが止まったらしい。もちろん初モノによくある欠陥車だが(ディーラーはメーカーのせいにする)部品代は500円程度のもの。スペアの部品さえ用意して行けば何とかなったのだが、そのときは余りもの暑さのせいとばかり考えていた。丁度大型台風が来ているとの予報に、娘が仕事の心配をして先に飛行機で帰ると言い出したので、早朝から北陸自動車道で一日一便のみの小松空港に向かった。台風は広島県あたりまで来ていて福井県を含む北陸三県は『フェーン現象』で異常に蒸し暑くなっていた。間もなく小松インターに近づいたあたりで、クルマよりドライバーの僕が熱波で具合悪くなった。何しろクルマのルーフからハンパ無い輻射熱が強烈に頭部を襲い、窓を開ければなお暑い危険な状態で、ようやくインターを下りて小松空港に到着。娘を搭乗ゲートに送り出した後、冷房の効いたロビーの椅子から立ち上がれなかったほどだ。ガラス越しに見える外の駐車場のクルマまで歩く気もせず長時間身体を冷やしていたが、決心してクルマに戻った。ハンドルは焼けるように暑く、窓はずべて全開にしてエンジンをかけ、エアコンの最大風量でも冷えないため走る事にした。この状態で北陸自動車道に入って福井に向かえば途中で何が起きるか不安になった僕は、交番に立ち寄って病院を探してもらった。お盆休業も心配されたが小松厚生病院への道筋を聞き病院の救急受付に飛び込んだ。『急患です!』、『どなたですか?』、『僕です!』急患の患者が自分で来るから不思議がられた。札幌から健康保険証の写しをFAXしてもらい、熱中症の症状を訴え『点滴』をお願いして涼しいベッドで2時間ほど熟睡。夕方の日が傾いた頃に北陸自動車道小松インターに入った。こんな時の病院は有り難かった。お陰様で無事福井に戻れたが、あのまま強行していれば危険だったろう。あの時の殺人的熱波の気温は38℃。クルマはさらに40℃を超えていたに違いない。