Jeep のエンジンの「カタカタ音」が若干気になったので、知り合いの整備工場の社長に聞くと彼は音を聞くなり『メタルが減ってるな・・・』と一言。翌日、僕は仕事で恵庭までJeepで行くことにしていたが、幹線沿いのJeepを扱う某ディーラーさんに立ち寄った。工場長風の方が対応してくれたが、症状を説明すると、『Jeepはそんなに簡単に壊れませんからね・・・」と元気付けてくれたので、そのまま恵庭に向かった。走行中の異音は続いていたが仕事を終え帰路に。すると、突然!北広島市街辺りで異音は『カタカタ』から『ガタガタ』と鳴り出した。とっさに整備工場を探して事情説明したが部品は無く、札幌に戻ることにした。整備工場の社長さん『ムリするとエンジンが焼きつくから40km/h以下でゆっくり走ればなんとか?札幌まで行けるかな?・・・』と言ってくれたので、ご忠告通り札幌へ向かった。大谷地の流通団地の下り坂でとうとうエンジンのパワー・ダウン。目の前に見つけたガソリンスタンドへギアをニュートラルにして惰性で転がり込んだが、閉店していて公衆電話も使えない。流通団地内で残業している会社を探して電話を借り、最初に診て貰った知り合いの整備工場の社長に助け舟コールを。若い社員が来てくれ、整備工場まで牽引してくれ助かった。メタルとはエンジンの回転軸を受ける砲金のことらしく、大砲などの砲身内などにも使用されている比較的軟らかい金属だと聞いている。長い間の乱暴なダート走行やエンジンの振動などで軸受けに負荷がかかり歪んで軸が軸受けの中で上下に動いていたらしい。やっぱり年季の入った町工場のベテラン社長さん達の言うことは正しい。彼らは耳でエンジン内部が見えるらしい。それだけの場数を踏んでいるから言い切れるに違いない。その後も彼は、ジャンク屋さんに行って廃車の同型エンジンを探してキャブレターにガソリンを垂らしてエンジンの調子を見た上で手に入れ、僕のJeepの心臓移植をしてくれた。彼には、ダイナモやセルモーターやクラッチ板、ボディ溶接までずいぶんお世話になった。彼らはトラックから乗用車まですべての整備をこなしているが、乗用車を持ち込むと『オモチャが来た』と言う。彼らは小型車はオモチャとして遊びながら整備作業を楽しんでいる。ちなみに麻雀でも僕は彼らに遊ばれっ放しだ。
ジープ
もう一度会いたい!
しばらくして、別れたクルマに会いたくて「幸せの黄色いハンカチ」の夕張まで行った。友人の家の車庫に、あの「じゃじゃ馬ジープ」はあった。懐かしかった。夕張の町をひと回り運転させて貰って、今度は本当に別れを決意した。もう涙は出なかった。けじめをつけたその後は夕張にはしばらく行っていない。「男はつらいよ!」
2台同時車検(男はつらいよ!)
僕の庭にはFRの乗用車とジープがあった。その日その日でとっかえひっかえ乗ってはいたが、いざ車検となると1ナンバーのガソリン車のジープは1年毎、FRの乗用は2年毎に車検と毎年、毎年が車検と言う訳で、しかも2台同時の時にはさすがに参った。それでなくても古いジープはダイナモやセル、クラッチ、エンジンの乗せかえとリッター2.5kmの高燃費なども含め、年間100万ほどの維持費がかかった。そこでジープは庭に放置、乗用のみ車検を取り、経済的な頃合を見計らってジープの車検を取った。古い車は「金食い虫」と手放すことにした訳だが、友人に譲ったときは、別れ際に涙が出たものだ。「Jeep!Come Back!」。姿が見えなくなるまで立ち尽くした。
「男はつらいよ!」
11tダンプ牽引騒動?
石狩川の河口の防波堤に向かってジープを走らせていると、11tダンプがベッセルを上げて前後にもがいていた。巨大なダンプに比べればジープは華奢なクルマだ。運転手さんに「引っ張りますか?」と声を掛けたが首を振った。帰り道、まだダンプカーは居た。「やっぱり引っ張りますか?」と言うと、運転手さんは半信半疑の顔で承諾した。ダンプカーからワイヤーを取り出し牽引フックが付いていないジープの「コの字バンパー」に通して引っ張ることにした。運転手さんはムリと思っていたに違いない。僕は4WDのLowにシフトレバーを入れてアクセルを踏んだ。ダンプカーが砂地獄から動いた。運転手さんも僕も感動した。薄い鉄骨バンパーはワイヤーが喰い込んでしまった。修理を申し出た運転手さんに、僕は「いいから、いいから」と手を振ってカッコよく分かれ、その足で知り合いの修理工場で溶接。カッコよさの代償は高くついた。
「男はつらいよ!」
ワイルドなジープ
僕が貰ったジープは、戦車のようなガチガチのクルマだった。幌タイプでラジオも聞こえない位気密性は悪かったが夏はフルオープンにして開放的で楽しかった。まるで暴れ馬のドライブ感覚で、クラッチはダブルで踏み込まないとつながらなかった。事前情報不足で公道をウインドウシールドを倒して交通取締り中の警察官の前を通過していた。違反と気づかなかったのは僕よりも警官の方で、その場は助かった。ホイールベース(前後の車軸間隔)が短いため山岳道路にはお腹がつっかえず良いのだが、アイスバーンでスピーンし、後ろ向きになったこともあった。派手な複葉機のイラストがペイントされたボンネットにも飽きて、米軍のミリタリー仕様にすることに決め、地金が現れるまで塗装を剥離して下地専用塗料で塗装の後、米軍横流し?のオリーブドラブの補修用スプレー缶をミリタリーショップで大量に買占め全塗装した。ボンネットにはB1サイズのイラストボードを型抜きして大きな白い円に白い星の米軍マークを吹きつけた。ボディサイドにも白い星を入れガソリン補助タンクにも星を入れた。全く米軍そのものになったジープで仕事の足にも使ったが、恵庭近辺で自衛隊の兵員輸送トラックの後ろに着くと隊員さん達にジロジロ見られて恥ずかしかった。このジープで冬の帯広へ撮影取材の帰りに日勝峠で吹雪かれ小さなワイパーは上滑りし危険な目に遭った。
芸は身を助く。
僕はクルマには「ツイテいる」。それまで大嫌いだったTVドラマを何気に見てしまった。フジTV系の「ご近所の星」と言うドラマの中で高円寺のフリーペーパーの取材記者役の三浦友和さんがJ2型ジープに乗っていた。或る日の番組最後にこのドラマのシンボルマークを一般公募し、賞品はドラマの中で友和さんが乗っているジープだと言うので、隣にいた幼い息子に「ジープ貰ってやろうか?」と言ったら息子がうなずいた。デザイナーの僕はその日のうちに官製はがき2枚の裏にポスターカラーと烏口コンパス、面相筆などを駆使して2点のマークを作成。デニム生地風の下地にステッチの輪郭を入れた星型マークの中にドラマタイトルを入れて投函した。年が明け、すっかり忘れていたところに、フジテレビからの電話でジープの当選を知った。何でも2万通ほどの中から2点とも最後まで残ったらしい。ドラマの出演者で三浦友和さんや十朱幸代さん、船越英治さんなどが審査員だ。友和さんと百恵ちゃんの結婚直前の年だったが、フジテレビで友和さんと会い、二人で雑誌や新聞の取材を受けた後にジープのボンネットに友和さんのサインを入れて貰った。雑誌やTVで知った全国各地の古い友人たちからたくさん電話があった。J2は古いタイプの4WDで、通常のシフトチェンジ用、4WDとFR切り替え用、HiとLowの切り替え用のシフトが3本もついていた。あれだけ欲しかった4WDをついに手に入れた。
三浦友和さんのジープ
僕はクルマには「ツイている」。冬の北見峠で危ない目に遭って網走に夜到着。予約も無しに宿を探した。幸運にも政府指定の観光旅館に一部屋空きがあった。新鮮な魚介鍋料理は寂しい一人旅の心に沁みるご馳走だった。1月3日、雨の網走に流氷は接岸せず、写真は一枚も撮れずに札幌に帰ることにした。釧路経由で走りっ放しで札幌に帰ったが、ソファにうつ伏せのまま暫く動けなかった。ドライバーズシートが柔らかく、お尻がめり込んで蒸れたため痔になってしまった。極寒のアイスバーンのFR車での長距離走破で冬の運転に自信がついたが、北見峠で遭遇したあの時のスバル4WDがうらやましかった。そんな正月休みを終え出社するとフジテレビの女性ディレクターから「おめでとうございます。友和さんのジープが当選しました・・・」?と電話が・・・。ジープといえば4WDだ。受話器片手に喜びで足が震えるのを覚えた。