初代プレーリーは、プジョーあたりのミニバンのコピー版らしいが、デビュー当時は余りにも異様な形に躊躇もしたが、これだけ変わっていればモデルチェンジが激しいクルマの中でも、いつまでも、それほど見劣りしないだろう?と、思い切って購入した。想像以上に先ず家族が乗車拒否!『かっこ悪い?恥ずかしい!絶対に乗らない!歩いたほうがいい!』と?。国内のミニバンの先駆車『プレーリー』には、暫く家族もそっぽを向いたほどの恥ずかしいスタイルの?クルマとしたイメージしかなかった。そう言う僕もなぜか冷たい視線を感じながら暫くは走っていた。・・・が、間もなくホンダから似たような『オデッセイ』が出たとたん、国内のミニバン人気に火がついた。何処に行っても『オデッセイ』。先駆車のはずの『プレーリー』は霞んでしまった。先駆者はいつも後進組に淘汰される宿命にある。そんなミニバンの火付け役の僕の『プレーリー』は大きなサンルーフ付きだった。当時ヘビー・スモーカーだった僕はサンルーフ全開でSLよろしく天井から煙を吐いて走っていた。夏休みには子供二人を乗せてフェリーで田舎に帰省した。帰りの敦賀フェリー・ターミナルで乗船待ちのため駐車待機していると『大スコール』に遭遇した。バケツをひっくり返したと言う表現があるが、雨粒と言うより『雨の岩石?』が落ちてくる感覚だった。あれほど憧れていた大きなサンルーフだったが、ガラスが割れんばかりに叩きつける豪雨の恐怖に内側のシェードを閉じて、車内でジッと耐えたが、とても長い時間に感じた。それ以来サンルーフへの興味は薄れてしまった。