倒産の話など恥ずかしくて、なかなか話す人もいないと思うが、人生必ずしも順風満帆ではなく、世の中は厳しい。僕もやっとの思いで全国区の大手広告代理店に就職した。これも、クルマと同じで僕はツイている。専門誌に大手4社中の一社として入社試験問題まで掲載されていた会社なのに、制作技術者と言う事で取締役東京本部長との直接面談のみで決定した。その時、履歴書に目をやって、本部長の質問「東京生まれ?福井育ち?大阪で青春時代?君は?なぜいま北海道にいるんだ?」、僕「ただ、何となくです」。その後、東京本部内では「ただ何となく」が広まってしまった。この会社はTV番組制作や、鉄腕アトムを初めてTV放映したり、日本むかしばなし、アニメや戦隊もののTVなどの草分けだった。あのスマイルマークや幸福の木など面白い企画も立案する会社だったが、後発の同業者にノウハウを真似され、あっと言う間に追い抜かれ、入社時は全国第4位だったが、オイルショックなどの荒波にもさらされ1,000名から最終的に400名にリストラし年商約400億で10位にまで転落。銀座の東京本部には撮影スタジオ、本社にはCM制作スタジオ、地下に印刷部まであったが、粉飾決算で平成11年3月、109年目にして幕を閉じた。僕も本社に乗り込んで役員に言いたいことを全部吐き出したが後の祭り、任されていた支店の整理にも大わらわだった。そんな中、取引先の印刷会社の社長さんをランチに誘ったが、申し訳無さとショックで食事は喉を通らなかった。毎日3箱も吸っていたタバコの箱とライターを差し出し「今はタバコなんか吸っている場合じゃあないので・・・」と手渡した。これが禁煙の始まりだった。その後、ハローワークにしばらく通ったが、ジッとしていられず自分の広告会社を立ち上げながら、管財人の手伝いをしていると退職金が出た。何でも表向きの帳簿上は黒字で?税金だけはきちんと収めていたらしく還付金が戻ったらしい。元従業員はこれで全員助かった。僕も会社を立ち上げたし頑張らないといけない。しかし元の会社のリース車両も返却して足が無い。そこで退職金の一部で憧れのBMWを手に入れる事にした。知り合いのディーラーさんの部長さんに話すと「お金は大事にしないとね、会社のリースにしなさい」と一括払いのつもりが逆に諭されてしまった。彼の計らいで出来たての会社にリース契約を通してくれた。濃紺色の初めての夢のBMWを入手した。あの時のBMWは傷心の僕を元気付けてくれた。「ありがとう!」なぜか?やっぱり僕はクルマにはツイているのか?。